The Sky Crawlers

大人になれないのではなく、大人にならない子供達――キルドレ
ループする世界、終わらない戦争、愛のカタチ。


今日は新宿ミラノで「スカイ・クロラ」を観て来ました。本当は封切りで観たかったんだけれど、諸事情で今日までずれ込んでしまいました。


押井守監督作品らしく、えらく親切ではない――ハッと気付く表情や目を背ける素振りであるとかどれが誰で誰が誰であるかなんかが読み取れないと話は在って無いようなモノなので、雰囲気だけを満喫し話を十分に理解できない人が出るだろうなという感想。かといって、原作を先に読むべきかどうかといえば、押井監督作品の常なのかもしれませんが、そうではないような気がします。
かといって自分も原作を読んでない訳で、映画を観て分からないところを埋めるために森博嗣の原作を読んで置きたいところです。ついでに言うと「すべてがFになる」やGシリーズと呼ばれている「φは壊れたね」なんかも読んでみたい。

作品についてあれこれ

二重性
パンフではある二重性を指摘しているものの、三重なのか別の二重なのかと見れる明示されていない関係もあるよね*1
ループ
水素(スイト)にとって見れば、キルドレであることは仏教が解脱を目指した輪廻転生と同じ苦悩なんだろうなと。
煙草
優一にとって見れば「健康なんて気にする必要なんてあるの?」ってことなんだろうか。「煙草を吸わない/長生きしよう」と考えている上司とは距離をとるってことだったのかな。退廃的(decadence)であることのひとつの指標として描かれているのかもしれない。生きろと言われた水素が煙草を吸わない場面も意味深げ。
土岐野
さてこいつは見かけ通りなんかじゃ全然無くて、色々知っている上に達観している人物であるという感想。煙草を持っている姿は見受けられるが吸っている姿ってあったかな…。
三ツ矢
蟻地獄と評されて散々な三ツ矢の台詞の中でお気に入りなのは「戦死しない限り死なない人間がいるんだって――」という心からの悲鳴ですが、その後の優一とのやり取りで素に戻ったように振舞えるのは子供だからだろうか女だからだろうか。
空戦
Ace Combatシリーズをやる人間であれば、一緒に空を飛んで戦っている気分を味わえるのではないかなと。「U字谷」「ダム」や「侵攻作戦」なんかのお決まりのシーンもあり。「ショーとしての戦争」を題材にしたこの映画と「演出されたゲームの戦争」との親和性は高い。
SF
押井監督の映画Avalonは、仮想現実(バーチャルリアリティ)の中で戦争をし現実(リアル)を求める感じのSFであったわけだけれど、スカイ・クロラは死んでも復活する/補充される人物や均衡が取られた勢力などゲームが現実になっているSFという感じ。
デストピア
デストピアをDaniel's Dinner前の老人に感じた訳なんだけれど、原作読まないとこの人が何なのかは分からないんだろうな。果たしてキルドレではない一般の人々にとってはユートピアなのだろうかと考えるが、それはそれで違うのだろうなと思う。
ループ演出
アヴァロンやイノセンスで用いられた表現と同じ感じ。既視感が大いに煽られます。
連想
灰羽連盟の世界観――ここではないどこかから来たが、前のことは思い出すことが出来ない、というのにどことなく同じものを感じる。

etc.

案の定、BANDAI NAMCOがゲーム化をやってくれるそうで、担当するのはNAMCOAce Combat開発チーム:ACESということで、これはもう完成度は約束されてるでしょう。
スカイ・クロラ イノセン・テイセス

追記

原作を全巻読んでいるものの映画はまだ観ていない押井監督好きの一番下の弟*2 と話をしてみたところ、原作もどれが誰であるのかは分かり難い表現だそうだ。土岐野については共通の見解を得られ、二重性に関しては持論の可能性を支持してくれた。
あとは、原作からいじってある部分の程度の簡単な確認や、謎の老人は少し触れられているけれど解釈はほぼ読み手に任せられているような感じだそうだ。
なんか案外原作から先に入っても差支えがなさそうな感じかな。

*1:その片方の持つ感情はある種のエレクトラコンプレックスのようにも取れる

*2:そもそも兄弟揃って押井監督好きなのはSF好きな父譲り